とはなに

わたしとはなにものなのか

最強の仲介人 教師

 

突然自分の中で巻き起こったマシュマロブームとどう向き合うべきか悩んでいる私だよ。

 

やぁやぁ、いい二月を過ごしているかい、諸君。

 

 

 

年度末といっても過言ではないこの時期。

そして年度末といえば卒業。

教師という職についている方は狂ったように、学校新聞からPTA新聞、アルバム、果ては卒業式が終わったあとにあるあの謎の延長ホームルームで喋る内容など、自分の中のありとあらゆる語彙をつかい別れを告げているときだとおもいます。

 

 

が、しかし。

 

 

私はそんな努力を重ねる貴方たちに一言、物申したいのです。

 

 

3年間、はたまた6年間、教科書の内容を私たちにわかりやすく伝えてくれた貴方たち。

貴方たちがいたおかげで、私たちは教科書の内容を理解することができ、それぞれの進路へおおきな一歩を踏み出せたのだとおもいます。

 

なのになぜ!!!!

 

この期に及んで更に人の言葉を引用するのですか!!!!

なぜ頑なにニーチェの言葉を!!!!

伝えたがるのか!!!!!!!

 

 

長い年月のなかで教科書を噛み砕いた内容をどのクラスでも同じように繰り返し繰り返し、世間の常識でダメとされることをした生徒を怒って、生徒総会などで話す話は大体毎回職員会議で決まった連絡事項のみ。

 

 

そんな貴方たちが、唯一自分の言葉で書く事をゆるされたといっても過言ではない、卒業、別れの言葉を!!!

なぜ!!再びニーチェで!!!

 

そんなの、傀儡と一緒じゃないか・・・・ッ!!!

 

 

授業をする、という自らの呪縛から逃れることができずについには自我を失いただ他人の言葉を翻訳して子供につたえる翻訳マシーンと成り下がってしまった先生方、

あなたたちはニーチェを読まなければ殺される決まりでもあるのですか。

そう、職員会議で決まっているのですか?

 

いまこそ、いまこそ立ち上がるのです。

 

先生方が自分の言葉で何かを生徒に伝えたところで、

PTAは街を焼き払わないし、教育委員会は新世界をつくりません。

 

だから、自分の言葉で別れを告げるのです。

いままで教科書の内容を僕たちに伝えてくれた先生。

でもこんなに立派な人だったんだ、この人に教科書の内容を伝えてもらってよかった…!そう思わせるのです。

 

きっと貴方が初めて自分の言葉で書いた別れの文章を読んだ時に生徒はこう思うのです。

 

 

 

あぁ…よくある別れの言葉だ…、と…。